それは、2005年夏。老舗パッケージメーカー《伊藤景パック産業》社長 伊藤景一郎 は、これまで脇役であった紙製・プラスチック製容器のイメージから一転し、食卓の準主役となれるような新製品のアイディアを、知人を介して 田辺三千代 に求めたことから始まった。
当時、田辺は株式会社JUNのPR室顧問を務めながら、表参道「montoak(2002)」にオープンから携わっていた。また山梨県・西湖「CAFE M」も経営をしていた経験から、華やかなパーティーの裏側で、スタッフが汚れた陶器の皿を次々と洗浄し、レンタル会社へ返却するという重労働の現場を目の当たりにしていた。長年、ファッションデザイナー菊池武夫のブランド「TAKEO KIKUCHI」をブランドチーフプレスとして支えてきた経緯からも、世界的なパーティーの場で使われていた既存の紙皿が、料理だけでなく、ファッション業界を牽引する人々の風貌までも台無しにしていた光景を思い出す。
田辺は伊藤からのリクエストに対し、「料理を盛りつけると美しく、持つ人の立ち振る舞いも素敵に見せる、新しい紙の器を作る必要がある」と答えた。それに加え、新製品は「時代に即した日本の美の感性を宿しており、資源を有効利用した素材で作らなくてはならない」と、後の基盤となるコンセプトも発案する。
このイメージの源流には、2000年代初頭、パリ・北マレ地区から生まれた「BOBO(ボボ)」と呼ばれる、ブルジョア・ボヘミアン達のライフスタイルがあった。彼らは華美なブランド品を拒み、都市で生活を送りながらも、サスティナブルな衣服やオーガニックな食事など、より自然志向で健全な生き方を求めていた。
伊藤景パック産業も元々、経木(きょうぎ)や割りばし、竹皮(たけかわ)の製造から始まったパッケージメーカー。竹が持つ殺菌効果によって、食品を長持ちさせる「竹皮」のような製品は、過剰な資源を必要としないサスティナブルな知恵であり、新しい紙の器はそのような日本古来の生活の思想を継承するべきだ、と企業の意識改革を促した。そして、新製品のビジュアルには「洗練されたミニマルな日本の美」が不可欠だと訴えた。当時、日本と海外を頻繁に行き来していた田辺は、90年代初頭から、海外から見た“ジャパン”が、過去のデコラティブなものから改められ、よりシンプルで洗練されたイメージとなっていることを体感しており、全てのライフスタイルにおいて、日本は世界より抜き出ていると確信していた。
新製品の世界観をイメージした田辺には、一人のデザイナーが思い浮かんでいた。それは「HIGASHI-YAMA Tokyo(1998)」「HIGASHIYA(2003)」「八雲茶寮(2009)」「OGATA PARIS(2019)」を展開する《SIMPLICITY》代表の 緒方慎一郎 であった。緒方の展開する店は、建築や内装、使われる道具まで「ジャパニーズモダン」の粋を極めた空間であったため、新製品が目指すべきイメージを伝えるためには、実際にHIGASHIYAで取り扱われている和菓子を、伊藤に見せるのが良いと田辺は考えた。田辺が和菓子を買いに店舗を訪れたその日、偶然にも緒方がその場に居合わせており、新しい紙の器を作るためにデザインを依頼したい旨を伝えると、緒方はその場で快諾したという。
開発メンバーである、伊藤、田辺、緒方の三氏が集い、プロジェクトは本格的に製品の開発へと移行する。当初からのコンセプトであった、環境に配慮した素材選び、それらを製品として量産化する技術の確立には、3年の歳月を要した。こうして2008年。芳醇な日本の文化と、サスティナブルな思想を託された紙の器は、日本から発信する「和/輪」の「皿/更」という願いをこめた「WASARA」という名前で、世に送り出された。
WASARAが誕生した同じ年、田辺はコンセプトブックも刊行した。その最後のページには、次のように綴られている。 “紙の器である以上、使われるのはその場限りですが、原材料の竹やサトウキビの繊維はいずれ土に還っていく素材です。古来より人は自然と対話し、知恵を育み共存してきました。人も動物も木も草も、すべて最後は土に還り、またそこから新しい命が生まれます。WASARAも、人が集う時間のために使われ、やがて土に還ります。たった一度しか使えない紙の器であっても、そのはかなさとは相反して、WASARAは人々のこころを潤し豊かにする役目も担っているのです。”
現在、WASARAはパーティーの後片付けにかかるストレスを減らし、ゲストにも気を使わせずスタイリッシュで楽しい時間を創造するためのライフスタイルブランドとして世界に受け入れられている。木材パルプや石油に代わり、非木材である竹とサトウキビの繊維をアップサイクルしたWASARAは、器を使い捨てる罪悪感を無くし、これまで陶器の皿を洗浄するために使われてきた「水」や「洗剤」の浄化にかかっていた環境負荷の削減にもつながった。
WASARA誕生から8年を経て、2015年9月「SDGs(持続可能な開発目標)」が、国連サミットにて、加盟国の全会一致のもと採択される。私達は過去の行いを省み、よりエシカルな未来に向けた「ライフスタイルの改革」を求められている。